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広島地方裁判所 昭和58年(ワ)1110号 判決

原告

荒谷惠子

被告

山根一洋

主文

一  被告は原告に対し、金四二二九万〇一六九円及びうち金四〇二九万〇一六九円に対する昭和五五年二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金六三五九万九六三七円及びうち金六〇三四万九六三七円に対する昭和五五年二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

日時 昭和五五年二月二二日午後四時ころ

場所 広島市南区比治山本町一二番一八号先交差点

態様 自転車で交差点を南方に向かい直進中の原告に、同交差点を東方に向かい左折中の被告運転の普通乗用自動車が衝突した。

2  責任原因

(一) 被告は加害車の保有者である。

(二) 本件事故は、被告の信号遵守義務違反の過失により発生したものである。

3  受傷内容等

(一) 受傷内容

頭部外傷Ⅱ型、左側頭部挫創、外傷性頸椎症、乳頭炎を原因とする両眼視神経萎縮

被告は、本件事故と乳頭炎及びその帰結としての視神経萎縮との因果関係を否定する。しかし、乳頭炎の原因は、一般的には、眼科的なもの、脳外科的なもの、耳鼻科的なもの・外傷性のもの及び原因不明のものが考えられるところ、原告の場合、前三者は担当医師により否定されており、帰るところは後二者のいずれかであるが、原告の視力は、本件事故前には正常であつたのに、事故後徐々に視力障害が生じてきたのであるから、原告の乳頭炎発症の原因は、本件事故による外傷であると考えるのが自然である。被告は、本件事故と原告の視力障害発生との間にやや時間的間隔があることをその主張の根拠とするが、外傷と乳頭炎発症との間に時間的経過の存することも稀ではなく、右事実を因果関係否定の根拠とすることはできない。

(二) 治療経過

(1) 一ノ瀬病院

入院 昭和五五年二月二二日から同年三月一五日まで

通院 昭和五五年三月一六日から同年六月一八日まで

(2) 横山外科胃腸科

通院 昭和五五年八月二二日から同月二五日まで

(3) 桧垣眼科医院(以下「桧垣眼科」という。)

通院 昭和五五年八月二五日

(4) 戸田眼科的場医院(以下「戸田眼科」という。)

通院 昭和五五年八月二六日から同月二九日まで

(5) 広島大学医学部附属病院眼科(以下「広大眼科」という。)

通院 昭和五五年九月一日から昭和五六年一月二七日まで

入院 昭和五六年一月二八日から同年二月二八日まで

通院 昭和五六年三月一日から現在まで

(6) 甦生会

通院 昭和五六年九月一八日から現在まで

(三) 後遺障害

内容 両眼視神経萎縮(右眼視力〇・〇一、左眼視力〇・〇二)

固定日 昭和五六年一〇月二四日

等級 自賠法施行令別表二級二相当

4  損害

(一) 治療費 金二〇五万七六四二円

(二) 附添看護料 金九万五〇〇三円

(三) 入院雑費 金五万五〇〇〇円

一ノ瀬病院二三日間、広大眼科三二日間合計五五日間につき、一日金一〇〇〇円の割合

(四) 休業損害 金三六〇万五三五〇円

原告の家族は、夫の元治、長男光洋(昭和五〇年生)、二男佳明(昭和五三年生)であり、原告は家事を担当するとともに、喫茶店手伝いとして月額金五、六万円の収入を得ていた。ところが、本件事故により、昭和五五年二月二二日から昭和五六年一〇月二四日まで就労はもちろん、家事にも従事できなかつた。原告は、本件事故当時二七歳であつたから、同年齢女子の年間平均賃金二一五万七三〇〇円を基礎として右就労不能期間中の休業損害を算出すると、金三六〇万五三五〇円となる。

(五) 入通院慰謝料 金一七〇万円

(六) 後遺障害による逸失利益 金四一〇〇万八九三二円

労働能力喪失率 一〇〇パーセント

年収 女子全年齢平均賃金年額金一九五万五六〇〇円

期間 二九歳から六七歳まで

中間利息控除 ホフマン係数二〇・九七〇

(七) 後遺障害慰謝料 金一四二〇万円

(八) 損益相殺 金二三七万二二九〇円

(九) 弁護士費用 金三二五万円

5  よつて原告は被告に対し、損害賠償金六三五九万九六三七円及びうち弁護士費用を除く金六〇三四万九六三七円に対する不法行為時である昭和五五年二月二二日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1記載の事実は認める。

2  同2(一)記載の事実は認めるが、(二)記載の事実は否認する。

3  同3記載の事実のうち、原告が、本件事故により両眼視神経萎縮の傷害を受けたことは否認し、その余の事実は知らない。

原告の主張する両眼視神経萎縮は、乳頭炎(球後視神経炎)による症状であるが、右乳頭炎は、通常ウイルス感染によつて生じ、外傷によつて生ずる場合もあるが、そのときには、脳神経の異常、例えば視神経管骨折が生じる程度の外傷であることが必要であり、この場合には、外傷発生後一〇日前後で発症する。ところで、本件については、広大眼科の診断書(乙第一号証及び甲第一七号証)によると「頭部異常なく、視神経管骨折もなく」「神経内科的検索にて異常なく、脳脊髄液・網膜電気図などの諸検索にても異常なく、蛍光眼底撮影にても正常」であるし、また、一ノ瀬病院の診断書(甲第一、第四号証)によると「脳神経外科的症状を発現することなく順調に経過」したとあつて、原告の場合、外傷に基因する乳頭炎が発現する程度の外傷を負つていないことが明らかである。また、原告が「左眼が霞む、朝、眼脂が多い」と訴えたのは、本件事故発生後七〇数日経過してからのことであり、左眼乳頭炎と診断されたのは、本件事故後一九〇日を経過してからのことである。その間、原告は、昭和五五年八月二五日、桧垣眼科で診断を受けているが、その際には、遠見時の視力低下は存したが、視神経乳頭にも変化なく、視力低下の原因は不明と診断され、また、同月二六日ころ戸田眼科で診察を受けているが、そこで急性乳頭炎を疑われ、広大眼科で精密検査を受けるよう指示されている。以上によれば、原告の乳頭炎は、本件交通事故に起因するものではなく、昭和五五年五月初旬から同年八月ころまでの間にウイルス感染により急性発症したものと考えるべきである。

4  同4記載の事実のうち、(八)記載の事実は認めるが、その余の事実は否認する。

三  抗弁

原告には、交差点を直進するに際しては、左折車の存否を確認すべきであつたにもかかわらず、これをすることなく直進した過失がある。したがつて、過失相殺がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠

本件記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるから、それをここに引用する。

理由

一  請求原因1記載の事実及び同2(一)記載の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  原告の乳頭炎に基づく両眼視神経萎縮と本件事故との因果関係について

1  本件事故と原告の視力障害の発現及びその後の治療経過

いずれも成立に争いのない甲第一、第四、第六、第八、第九、第一五、第一七、第一九号証、第二一ないし第二四号証、乙第一号証、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認める甲第一二号証、証人桧垣雄三郎、同平田寿雄の各証言によれば、次のとおり認めることができる。

(一)  原告は、本件事故後直ちに救急車で一ノ瀬病院に搬入されて手当を受けたが、約二日間は意識も朦朧としていた。しかし、それ以上重篤な症状を呈することなく順調に経過し、昭和五五年三月六日には附添看護が不要となり、同月一五日には退院した。一ノ瀬病院での診断は、左側頭部挫創、頭部外傷Ⅱ型及び外傷性頸椎症であつたが、同病院には昭和五五年六月一八日まで通院し(通院実日数一六日)、原告が、同年四月二九日に転居して、通院に不便となつたことから転医し、同年八月二二日から同月二五日まで(通院実日数二日)横山外科で治療を受け、同医院では、原告は、頭痛、頸部痛等の症状を訴え、外傷性頸椎症と診断された。本件事故以前の原告の視力は、両眼とも一・五であつたところ、一ノ瀬病院を退院する昭和五五年三月一五日の直前ころ、原告は、左眼から眼脂が出るのに気付き、更に、同年四月半ば、化粧のために片眼になつたとき左眼視力が低下していることを発見したが、さほど気に留めることなくそのまま放置し、同年五月六日一ノ瀬医師に「左眼が霞む、朝、眼脂が多い」と訴えたところ、同医師からは眼科受診を指示された。しかし、原告は、同年四月末に広島市南区比治山本町から同市安佐北区高陽町に転居していたこともあり、身辺の雑用にとり紛れて眼科受診を怠つていたが、同年八月二五日桧垣眼科で桧垣雄三郎医師の診断を受けたところ、右眼視力は一・五あつたが、左眼視力は〇・一と低下しており、同医師にはその原因が判別できなかつたため、同医師から戸田慎太郎医師を紹介された。そこで原告は、翌二六日から同月二九日まで同医師の診察を受けた(通院日数二日)ところ、二九日には、左眼視力は〇・〇四まで低下しており、同医師は、視神経炎のうち球後視神経炎の疑いと診断し、広大眼科で精密検査を受けるよう指示した。そこで原告は、同年九月一日広大眼科を受診したところ、右眼視力は正常であつたが、左眼視力は著しく低下しており、蛍光眼底撮影の結果、乳頭炎の症状が認められ、左眼の乳頭炎と診断された。そして、昭和五六年一月二七日までと、同年三月一日から同年一〇月二四日まで通院治療を受け(通院実日数二四日)、同年一月二八日から同年二月二八日までは治療及び発症原因検査のため入院したが、同年一〇月二四日、左眼視力〇・〇二、右眼視力〇・〇一(いずれも矯正不能)、右眼二〇度、左眼一〇度の中心暗点の存在を後遺障害として残して症状固定と診断された。そして、右入通院期間中、乳頭炎の原因を求めて昭和五六年一月までの間に、耳鼻科的、脳外科的及び内科的な各観点からそれぞれの専門医による診察がなされたが、いずれも乳頭炎発症の原因となるような疾患は発見されず、その後も、脳外科及び内科的な視点からの専門医による診察がなされたが、結果は当初と同様であつた。

(二)  乳頭炎とは、視神経乳頭が炎症を生じて発赤し、視力が低下する病気であるが、原告の左眼視力は、広大眼科受診後も低下を続け、昭和五五年一二月一三日には〇・〇一以下となつたが、その後やや持ち直し、昭和五六年五月二八日に〇・〇二となつてほぼ固定した。右眼は、暫くの間異常なかつたが、昭和五五年一二月一三日、この時は未だ右眼視力低下はなかつたけれども、右眼視神経乳頭が発赤しているのではないかとの疑いが持たれ、昭和五六年一月に入つてからは急激に視力が低下し、同月一四日〇・七、同月二九日〇・二、同年四月二七日〇・〇八、同年五月二八日〇・〇三、同年七月一日〇・〇一となつてほぼ固定した原告の乳頭炎は、治療の効なく両眼視神経萎縮を結果した以上のとおり認めることができ、右認定に反する証拠はない。

2  乳頭炎の病像とその発症の原因について

前掲甲第二二号証、証人平田寿雄の証言によれば、次のとおり認めることができる。

(一)  乳頭炎とは、視神経乳頭が炎症を生じて発赤し、視力が低下する病気であるが、その治療が奏効すれば炎症が回復するけれども、失敗すると、視神経乳頭が蒼白化して萎縮し、この場合には視力の回復は望むことができない。

(二)  乳頭炎の原因としては、一般的には、内科的なもの、脳外科的なもの耳鼻科的なもの、眼科的なもの、右以外の外傷性のもの及び原因不明のものがあり、内科的なものとしては、多発性硬化症(脱髄疾患)の初期症状として現われることがあり、脳外科的なものとしては、腫瘍や脳脊髄の炎症が考えられ、耳鼻科的なものとしては、視神経管骨折があり、眼科的なものとしては、眼部に対する外傷やウイルス感染が予想される。

(三)  ウイルスの感染により乳頭炎が生じる場合は、通常、両眼同時又は時期を異にするとしてもさほど間隔を置くことなく発症し、発症時期が数か月もずれるということは非常に稀である。

(四)  外傷を受けた後、数か月あるいは数年を経過した後に、右外傷が原因となつて乳頭炎が発症することもあり、したがつて、外傷から発症までの期間が長いとの理由で外傷が原因ではないと結論することはできない。

(五)  乳頭炎の前駆症状として、頭痛、眩暈、悪寒のあることがあるが、一般的なものではなく、乳頭炎の症状としては、急激な視力低下以外には特に存しない。

(六)  広大眼科において原告の治療を担当している三名の医師が、原告の乳頭炎の原因について検討したことがあるところ、その際には、内科的、脳外科的、耳鼻科的及び眼科的原因は否定され、右以外の外傷によるもの又は原因不明のものであろうとの結論となり、右二つのうちの何れかは決定することができなかつた。

以上のとおり認めることができ、右認定に反する乙第二号証及び第三号証の一の記載内容は、証人平田寿雄の証言に照らし措信できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

以上右1及び2で認定した各事実から、本件事故と原告の乳頭炎に基づく両眼視神経萎縮との因果関係の有無について検討する。

右に認定した事実によれば、原告の乳頭炎発症の原因は、医学的にみる限り不明であり、したがつて、本件事故による外傷と乳頭炎との間に因果関係が存することは、医学的には証明されていないと言わざるを得ない。しかし、医学的因果関係が証明されれば、法的因果関係も肯定されるべきことは当然としても、前者が不明であるからといつて、後者も否定さるべきものと言うことはできないと考える。けだし、医学的因果関係の証明の問題と法的因果関係の成立とは、その観点を異にするものであるからである。ところで、乳頭炎の原因として考えられるもののうち、内科的、脳外科的及び耳鼻科的なものについては広大病院各科における診察の結果、いずれも否定されており、眼科的原因としてのウイルス感染は、被告が主張するものであるが、広大眼科で右眼の異常が認められた昭和五五年一二月一三日までには、原告が左眼の視力低下を訴えて桧垣眼科の診察を受けた同年八月二五日からでも約三か月半経過しており、原告が左眼の視力低下に気付いた同年四月半ばから計算すると、約八か月も経過している。しかし、ウイルス感染による乳頭炎の場合発症時期が数か月も異なることは非常に稀であるというのであるから、原告の乳頭炎がウイルス感染によるものとは認め難い。そうすると、原告の乳頭炎の原因は、広大眼科における原告の担当医師らの合議の結果と同様、外傷又は原因不明のもののいずれかということとなる。原告は、本件事故は両眼とも異常なく、視力も各一・五あつたのに、本件事故後約二か月を経た昭和五五年四月半ばには左眼の視力低下に気付いており、遅くともこの時期には乳頭炎に罹患していたと認められる。したがつて、原告の乳頭炎が、原因不明の何かに起因するものであるとすると、本件事故後の右二か月の間に原因不明の何かが偶然生じたこととなるが、その蓋然性は低いものと言わざるを得ない。これに対し、原告の乳頭炎は左眼から発症しているが、本件事故で原告は左側頭部に挫創を受け、また、打撃の程度も約二日間意識が朦朧となる程のもので、程度は強かつたのであるし、事故後約三週間を経た昭和五五年三月一五日ころには、原告は、左眼から眼脂が出る異常に気付いていたことからすると、原告の乳頭炎は、本件事故に基づく外傷に起因すると考えるのが自然である。

以上右に述べた諸事情を総合考慮すると、原告の乳頭炎に基づく両眼視神経萎縮は、本件事故による頭部外傷によるものと認めるのが相当である

三  本件事故発生につき原告に過失があつたことを認めるに足る証拠はない

四  損害

1  治療費 金九五万七六四二円

前二1認定の事実によれば、原告の本件事故に基づく症状は、昭和五六年一〇月二四日固定したものと認めることができる。

いずれも成立に争いのない甲第二、第三、第五、第七、第一〇、第一一号証によれば、原告は、本件事故による頭部外傷、乳頭炎等の治療のため、右症状固定日までの間に合計金九五万七六四二円を要したことが認められるが、それ以上の治療費を要したことを認めるに足る証拠はない。なお、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認める甲第一三、第一四号証、前掲甲第一二号証によれば、原告は視力障害治療のため昭和五六年九月一八日から鍼治療を受けていることが認められるが、原告本人尋問の結果によれば、右治療は原告が希望して行つたもので医師に勧められた訳ではないことが認められるから、これを加害者が負担すべき原告の損害と認めることはできない。

2  附添看護料 金九万五〇〇三円

いずれも成立に争いのない甲第一六号証の一、二、前掲甲第一号証によれば、本件事故による原告の症状は、事故当日から昭和五五年三月六日までは附添看護を要するものであり、そのための費用として金九万五〇〇三円を要したことが認められる。

3  入院雑費 金四万四〇〇〇円

一ノ瀬病院二三日間、広大眼科三二日間合計五五日間につき一日八〇〇円合計金四万四〇〇〇円を要したものと認める。

4  休業損害 金八〇万一二七九円

前掲甲第一号証、第二二ないし第二四号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和二七年七月一八日生れの主婦で、夫並びに昭和五〇年二月一六日生れの長男及び昭和五二年一一月二日生れの二男の二人の子があり本件事故当時、主婦として家事に従事する傍ら、喫茶店で働き、月額金五万円程度の収入を得ていたこと、原告の視力は、昭和五五年一二月一三日は右眼一・五、左眼〇・〇一以下、昭和五六年一月一四日右眼〇・七、左眼〇・〇一以下、同月二九日右眼〇・二、左眼〇・〇一、同年四月二七日右眼〇・〇八、左眼〇・〇四、同年五月二八日右眼〇・〇三、左眼〇・〇二(同日以降左眼視力ほぼ固定)、同年七月一日右眼〇・〇一、左眼〇・〇二(同日以降右眼視力ほぼ固定)で、以後両眼視力にほとんど変化はないこと、眼症状が固定した後の昭和五九年七月一九日現在、家事のうち、掃除はさほどの支障なく行うことができるが、買物は単独ではできず、友人や夫の助力を受け、食事の準備も、下拵えの済んだ材料を使用し、子供に手助けされながら行つており、外出については、交通機関の行先表示等の判別ができないため不便ではあるが、単独で出かけられない訳ではないこと、しかし、勉学の世話等二人の子の監護を十分に行うことはできなくなつたこと、をいずれも認めることができ、右認定に反する証拠はない。

右事実及び前記二1で認定した入通院治療の経過からすれば、原告は、入院期間中である昭和五五年二月二二日から同年三月一五日まで及び昭和五六年一月二八日から同年二月二八日までは全く労働に服することができず、右眼視力が〇・〇一、左眼のそれが〇・〇二とほぼ固定した昭和五六年七月一日以降症状固定の同年一〇月二四日までは九〇パーセントの労働能力を喪失したものと認められる。原告は、症状固定までの全期間労働不能で、その間休業損害が生じたと主張するが、受傷から症状固定までの経過の特異性及び原告は、主として家事労働に従事していたことからすると、右期間以外は、原告に休業損害が生じたとは未だ認め難い。そこで、右期間中の休業損害を昭和五五年度女子労働者の平均賃金(産業計、企業規模計、学歴計、全年齢平均)を用いて計算すると、次のとおりとなる。

183万4,800円×55-365+183万4,800円×116-365×0.9=80万1,279円

5  入通院慰藉料 金一五〇万円

前記二1認定の原告の症状及び入通院の経過からすれば、原告が本件受傷による入通院のため被つた精神的損害は、金一五〇万円をもつて相当と認める。

6  後遺障害による逸失利益 金二五二六万四五三五円

前記二1及び2並びに前記四4で認定したところからすれば、原告は、症状固定の昭和五六年一〇月二四日(原告は二九歳三月)から六七歳まで三八年間、年額金一八三万四八〇〇円(昭和五五年度女子労働者の平均賃金)の九〇パーセントである年額金一六五万一三二〇円の得べかりし利益を喪失することとなるので、その昭和五五年二月時点における現価をライプニツツ係数を用いて計算すると、金二五二六万四五三五円となる(原告は、本件事故時である昭和五五年二月二二日には二七歳、損害の発生の始期である昭和五六年一〇月二四日には二九歳であるので、損害の終期までの年数四〇年に対応する係数一七・一五九〇から損害の始期までの年数二年に対応する係数一・八五九四を控除した一五・二九九六が適用すべき係数となる。)。なお、原告の後遺障害の内容及び程度からすれば、一般の賃金労働は不能であろうけれども、原告は主として家事労働に従事している点を考慮し、その労働能力喪失割合を前記のとおりとした。

7  後遺障害慰謝料 金一四〇〇万円

前二1及び四4認定の後遺障害の内容、程度からして、これによる原告の精神的損害は、金一四〇〇万円を相当と認める。

8  損益相殺額金二三七万二二九〇円については、当事者間に争いがない。そうすると、原告が被告に請求しうべき損害賠償権残額は、弁護士費用を除き金四〇二九万〇一六九円となる。

9  弁護士費用 金二〇〇万円

認容額、本訴の難易度等を考慮し、本件事故と相当因果関係にある損害として、原告が被告に請求しうる弁護士費用は、金二〇〇万円を相当と認める。

五  結論

以上のとおりであり、原告の本訴請求は、不法行為に基づく損害賠償金四二二九万〇一六九円及びうち弁護士費用を除く金四〇二九万〇一六九円に対する不法行為時である昭和五五年二月二二日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容するが、その余は失当であるので棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行宣言の申立てについては、相当でないからこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤誠)

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